46代 主将

終立 主将を終えて

誰も待っていなかったと思いますが、お久しぶりです。かれこれ一ヶ月ぶり。

ちなみに、何故こんなタイミングかと言うと、12/15に新幹部の二人とご飯行く用事があったのです。最後のお仕事ですね。つまり、それを過ぎたら「元主将」としての仕事も完全に終わり。いつ死んでも部活に迷惑かけなくなります。(本当は幹部交代の時点で死んでもそんなに困らないけど)

主将を終えて、色々あったなぁという想いでいっぱいです。長いようで短い2年間だった。せっかくブログがあるので、ここで振り返ってみて後々見返した時に甘酸っぱくなるのもいいかと思います。先輩方や同輩、後輩の人が見た時に「あいつあんなこと考えてたのか」とか思えると楽しいでしょ?

ということで、めっちゃ長文を書こうと思います!

 

 

2007年11月24日に第45代主将になった時と、2009年11月17日に丸山に第47代主将を引き継いだ時とでは大きく変化したと思う。射という面よりも(元々そんなにちゃんとしてないし)内面が大きく変わった。「弓道」に対する考え方ではなく、「弓道部」に対する考え方がエラく違うと思う。

私は元々勝ち負けに拘るタイプじゃなかった。ある意味物凄く弓道向きな考えかも。高校までは劇団や文化祭実行委員など「文化系」の団体で活動していたので、そもそも「勝ち負け」が存在し得ない世界だった(いや、するにはするんだけどさ)。だから私が初めて主将になった時は「楽しい部活」を意識していた。主将だけど、後輩からも話しかけやすいような存在を目指していた。(これに関して言えば最後まで意識していたけど)もちろんそれらの目標は上下関係が無くて、ゲラゲラ笑い声が聞こえる・・・とかそう言う意味では当然無く、44代の先輩方が活動されていたあの雰囲気を、自分達が大好きだったあの感じをそのまま提供したかった。

壱年生の時、私はとても楽しかった。きっと何も考えなくていい立場で言われた事だけをやっていればよかったからというのもあるが、なにより尊敬出来る先輩が沢山いたし、面白いし、弓道上手いし・・・それを超える事はできないにしろ、目標にしていた。

だから、私は当初それほど怒ったり注意したりするような感じじゃなかったと記憶する。他の同輩がやってくれたという事もあったし、その時の後輩は割といい子だったというのもある。最大の理由は前期だったから、それほど厳しく叱責する様な環境じゃなかったからだが。

さて、後輩も入って来てやっと主将らしい日々が始まった。はっきり言ってけっこう疲れる。そもそも「先輩」としての自分もわかってないのに、主将をやっているのだから、まぁ当然といえば当然かも。今の壱年がいきなり主将をやるようなもんだし。後輩との接し方も「仲良くなりすぎちゃいけないのかなぁ」とか「あんま距離おいてもなぁ」とか色々考えていた。(繰り返しだが、体育会の部活は未経験なのだ!)ただ、今になって思うと、却って「主将」として動いていたのが吉と出ている気がする。普通に先輩だけだったらもっと色々と問題も起こしていたし、粗相もしていたと思う。主将になったから先輩としての意識が若干なりとも向上した事は紛れもない事実だ。これは他の同輩にも言える事かなと思う。幸い、後輩はいい子たちばっかりだったので、それほど後輩のことで手を煩わされた記憶はない。

そんな中、主務が辞めることになった。はっきり言って困った。以前にも書いたが、その話を聞いた時に私が出来る事は無くって、慰留したけど何にも出来なかった。主務の子とは比較的仲が良かったし、部活に対する意見も近かったので(当時近いということは、今だとそんなに近くないのかも)相当な痛手だった。結局全関を最後に辞めるということになった。

時間は待ってくれない。全関がやってきてしまった。実は一番心が苦しかったのは「主務がやめる」ということもそうだが「皆に隠しておく」という方だった。「全日も6人でさ〜」などと話していることを聞くと物凄く申し訳ない気分だった。この時の全関はあまり面白くない。射士としても最悪だったし、主将としてもあまりほめられた出来ではない。後輩に対して色々曖昧な指示を出してしまった。本当ならここで後輩に先輩へ対する動きを叩き込むのだが、あまり出来なかったと思う。イヤだイヤだ。なんだかこの時の全関を考えるだけでもイヤな気分だなぁ。結局男女共に予選敗退。解散後に同輩に部を離れる事を打ち明ける。武道館では雨が降っていた。ただでさえ憂鬱なのに。

この出来事で、同輩とは距離が縮まった気がする。まぁその前も後も色々あってお互いに言いたい事もあるんだろうが、この出来事が全員になんらかの良い影響を残していると思う。ただ、私の心中は穏やかではない。妙に色々考えてしまって後悔しかしなかった。もう絶対に退部者は出したくないと強く思ったのは私だけではないはず。

話は変わるが、この頃から試合に対して「勝ち」を意識するようになった。練習試合でも勝てるようになったし(それは元々確信をもっていたけど。勝つことで負け癖を無くしたかったのはあるし)、練習ではなかなかの的中も出る様になった。結局「楽しい部活」というのは「強い部活」なのかもしれない、と考える様になった。だから部活は部活で大学生活の一部と考えていた私が、授業をサボってまで練習してしまうこともあった。いつしか部活中心になっていた。

夏休みが明け、後期の練習が始まった。この頃前主将の先輩がリーグ戦の為に練習に来て下さった。これが自分の中でけっこう大きかった。具体的な事ではなく、その存在が自分の心の拠り所となって、前期に比べて主将として仕事しやすくなった。多分甘えん坊なんだろう。先輩のことが大好きなんだろう。

更に副将の先輩も来て下さったリーグ戦は1勝することが出来た。これはけっこう大きい。この年はこの1勝しか出来なかったが、最後まで「昇格」を意識した戦いが出来た事がいい経験になった。そして「昇格」が一瞬でも見えていただけに負けたときは悔しかった。しかも、先輩が居なくなってしまう。私はこれからどうやってやっていけばいいんだろうと暗い気分になっていた。

でも、やはり同輩、後輩って大きい。君たちが居たから頑張んなきゃと思えたと思う。シュショーが投げ出すのは総理大臣の椅子だけでいい。

こんな感じで1年目は終わった。自分の中では2年目こそ真価が問われると思いながら活動したということもあり、あまり結果には拘らなくてもいいと思う。ただ、総じて私はこの年は辛い思い出が圧倒的に多い。

2年目に突入し、主将には慣れて来た。まぁ当然と言えば当然だけど。追いコンもそれほど大きなミスも無く終える事が出来たし、卒業式も終わった。

ただ、主将に慣れた分なんとなく何も考えられなくても主将が出来てしまうようになった。それって本来の主将とは違うと思う。また、後輩も弐年生になり、壱年の指導も分担出来て、射士としても成長してくれて自分の負担が減ったというものあろう。心のどっかで自分への評価がスゴく低かったんだと思う。「どうせオレが出来るんだから誰でもできるんだろうな」と常に思っていた。後輩だってオレじゃない方が本当はいいんだろうなぁと思ってた。つまり「倦怠期」のようなものが春はあった。ズルをしながらもプレ四大戦では優勝し、戦力的にも本格的に自分は必要ないと感じた。別にそれはそれで良い。介添えするのもいいのだが、なんかこう、微妙な心境だった。

その頃チームは好調だった。6人立で半分は確実に超え、場合によっては15中以上をキープするような状況だった。自己評価が低いながらも、チームに対する評価は高かったので、主将としてではなく、射士としては全関は楽しみであった。

そして、とうとう全関。思えば全関って主将生活の中で毎回ターニングポイントになっていると思う。

男子団体戦は14中だった。最後の最後まで決勝トーナメントが見える的中だ。成城大学では近年稀に見る高的中と言える。しかし、結果的に同中競射には1本足りず、悔しい思いをした。6人の中で皆中者が誰も居なかったので、誰かがあと1本中てていれば進出したのだ。だがその1本足りないのが現実なのだろう。全関は楽しかった。それは間違いないし、自分の中で大きな思い出に残った試合になった。だがそれ以上に悔しかった。強いと思っていたチームも所詮はこの程度かと落胆した。

反して女子は決勝トーナメントに進出し、初戦を勝ち、二日目に進出。決勝トーナメントには行けるかもしれない程度には考えて居たが、まさかこれほどの結果を残すとは思っていなかった。正直羨ましい。

しかし、結局二回戦で負けてしまった。相手は中央大学。仕方ないで片付けることも出来る相手だけど、手も足も出ない的中と言う訳ではなかったので、なんとも惜しい気分だった。だがすごいと思う。あそこまで行けた事が、青い胴衣が大きな拍手を一身に浴びて、最高の舞台で弓を引いているその姿を目に焼き付けられたことが、私達にとって大きな財産になったと思う。

OB対抗戦が始まるまで、ぼーっとアリーナを眺めていた。自分達もあそこに居たかもしれない、と思うが結局私は観客席側の人間なのだ、その距離は観客席とアリーナよりも遠い。やっぱり世界が違うのかなぁと感じていた。

そんな中、ある女子の後輩と話した。女子の団体で負けたことを悔しがっていた。私は「君は本当に良く頑張ったし、あそこまで行けた事だけでも賞賛に値すると思う。来年、君たちの代ではもっともっと上を狙ってくれ」と言った。そしたら彼女は「来年も主将やってくださいよ」と言ってくれた。冗談のつもりだろうが、その言葉でも嬉しかった。そして「木下先輩が思っている以上に、私達は先輩の事を信頼してますよ」と言ってくれた。正確には覚えていない、それくらい嬉しかった。後輩からおだてられていい気になって良いのか?という批判はあるだろうが、自分への評価が低く、自信が持てなかった私にとっては本当に力になった。彼女は覚えていないかもしれない。もしかしたら適当に喋っていたのかもしれないし、この発言も私の妄想かもしれない。(だとしたら夢を覚まさせてくれるな!)だが少なくとも(例え嘘でも)私を気遣ってくれたのだろう。本来ならば逆の立場なのに。それだけでも、すごく嬉しかった。

誉めてくれる人が居るから、という訳ではないが、必要とされているかもしれない、もう少し自分を信じてもいいのかもしれないと思える様になった。そう考えて部活を見てみると、次期幹部の弐年生(主に女子だが)もしっかりしてて、よくよく見ると中々の部活なのではないか、と気づけた。

その後はけっこう充実していたように思える。やっぱりある程度は自分のやり方に自信がないとダメなのかもしれないな。ただ、その裏で後輩に色々と負担をかけて居たが、何もする事ができなかったのが申し訳ない。色々と。私がすべき事を弐年生がやってくれた事は嬉しいけど、負担をかけるようじゃダメですよね。

特に夏合宿。主将として、幹部としては実に平和な合宿だった。禮先生も楽しかったと言って下さった。正直言ってもっと色々大きな問題が発生するかとも思ったが。つまり、一部の人が未然に防いでくれたのだろう。それ自体は部活の形としてはアリだと思う。誰かが裏で支えなくてはならないのは仕方ない。私も溝渕には本当に助けてもらった。彼女が内政面というか、部内の規律を守ってくれたから私も自由に動けたのだと思う。ただその仕事で追いつめる様なことはあってはらない。多分私は何人かを追いつめたと思う。しばらく後で、詳細な内容は伏せるが、ある人から進退について相談を受けた。もう退部者は出したくない、それはずっと思っていた。だが、これほどまでに追いつめたのは間違いなく私の責任だった。結局明確な理由も無しに頼むから続けてくれの一点張りだった。多分これはずるい。私のせいでこんな状況になった上に、とにかく続けろというのはおかしな話だと思う。だが、理屈じゃない、どんな人だとしても退部者が出るのはけっこう辛い。あんな経験は二度とゴメンだ。今思い返しても申し訳ないと思うが、私は間違っていなかったと思う。辞めたら何もならない。辛い事ばっかかもしれないけど、それを乗り越えられたら絶対に力になるし、その能力はあると思う。進退を相談するくらい部活に対して情熱がある人は離れるのはこの弓道部にとって大きな損失だ。

話は前後するがリーグ戦は今年も1勝しかできなかった。ある程度戦力も揃ったので期待していたが相手も強かった。多分今の自分達だったらどう頑張っても勝てなかったのが現実だろう。自分の集大成であったリーグ戦でこの結果。私は2年間も主将をやって何をしていたのか。リーグ戦では成長していないし、先輩や同輩や後輩には迷惑をかけて、こんなヤツが主将やってていいんだろうか。全関でもらった自信もこの頃には使い果たしたのだろう。そう、意外に思われるかもしれないが、私は極度のネガティブなのだ。(ただ打算的ではあるので、例えば射に関してはメンタル的にネガティブになることは合理的じゃないので、前向きを装っている)でもやっぱり主将を終わって得たものはあった気がする。こんなダメな主将でも事件も無く終える事が出来たという点に於いては私も自信を持てると思う。

その後は新幹部も決まって、隠居生活になった。前のブログにも書いたが、主将じゃないのってとても楽。今考えてもよくやってたなと思う。私が初めて主将をやっていた頃よりもしっかりとしていたので、安心した。

そして幹部交代式も終わって、今に至る・・・と。幹部交代式も天気が良くなかった。きっと弐年生に雨男か雨女がいるんだろう。まったくもう!・・・ようやく振り返りが終わったぞ。長い長い。

私はなにが出来たんだろう。とりあえず部活は2年間存続させる事ができた。誇れるのは部員数だろう。最初は6人だったのが、最後は24人になった。4倍だ。「練習をはじめます、礼」の時に、人がぎゅうぎゅうの道場を見る度に嬉しくなった。「主将冥利」ってこの感じだろう。

「人は城、人は石垣、人は掘」と言う様に、人材は何事にも代え難い。合宿〜秋頃に後輩が色々と悩んでいる時の話を聞いていた。部活の為に涙を流せることはスゴいと思う。幹部でもなんでもなく、「普通の弐年生」が。憂国ならぬ”憂部”の気持ちは幹部になっても大切にしてほしい。人材は小山弓具には売ってない。幸いなことにここはその宝庫だった。皆それぞれに想いはあると思うので、一つにして頑張ってほしい。

壱年生もこれから先輩になるにあたって大変なこともあると思う。実際私も色々耳にする事もある。まだまだ時間があるので、いっぱい話して欲しい。裏でぐちぐち言っていて解決したという話を私はまだ知らない。これは壱弐年に共通することだが、思った事は言わなきゃダメだよ。言わないなら文句を言うな。それは最低限の社会のルールじゃないかと思います。

同輩は・・・まぁありがとうしかないですね。色々あったけど結局このメンバー以外の弓道部っていうのは想像できません。自分達はけっこう思った事は話し合いで言い合えたと思う。色々と私に不満はあると思うケド、殴ったり刺したりするのを我慢してくれて本当にありがとう。特に溝渕は本当には感謝しています。君が女責で本当によかった。とにかく2年間お互いにご苦労様でした。就活がんばりたいですね。

上記とは矛盾するようだが主将を2年間できた事は後悔していない。貴重な経験だと思う。私を推して下さった先輩方に本当に感謝しています。でも楽しいことよりも辛い事の方が多かった。でも大学生活がこんなに充実したのは間違いなく主将のおかげだと思う。「悩める」って幸せだと思いませんか?それが部活の事で悩めるなんて贅沢の極みだと思う。主将の最大の仕事は悩む事。よく言ったと思います。本当にそう。我思う、故に我ありですね。違いますかね。

はじめは「楽しい弓道部」を標榜していたけど、最終的には「強い弓道部」になっていました。オレの中の方針ぶれまくり。ただ「楽しい」も「強い」もヒドく曖昧で、自分本位に解釈できると思う。でもそれってまさに弓道じゃない?私は「武道」ほど曖昧なものって無いと思う。スポーツでもないし、職業でもないし、勝てば良いでもないし、上手ければそれでおしまいでもない。結局自分が「どう向き合うか」なんじゃないでしょうか。多分その視線がブレていない人はどっち向いていてもかっこいい。特に学生弓道は「上手い人が中てる」「中てる人が上手い」など様々な価値観があると思います。それぞれ思い思いしっかりと自分の考えをもってくれれば、それぞれの人にとって「楽しくて」「強い」弓道部になるんじゃないかと思います。

 

いやー書いた書いた。ココまで読んだ人は多分アホです。若しくはなにか企みがあるとしか思えない・・・。なんかエラく長くなったぞ。こんなことよりもしなきゃいけないことが沢山あるのに!

ちょっと弓道場から頑張って離れようと思います。最高でも週に1回にする!きっと行っちゃうと楽しいから、そうするとまた迷惑なのに顔を出しちゃうから。そろそろ「弓道部っ気」をぬいてかないと。きっとこのブログを書く事もないだろう。いや、ログインのなんかが変わんなかったら四年生の日記を書くのか?リーグ戦とかもしも声がかかって復帰してたらなんかあるんだろうな。でもタイトルどうしよう。まぁいっか。

主将が終わったらのんびりしようと思ってたのに、却って寂しくなっちゃいますね。まぁこれからは主将だったから出来なかったこともあったと思うので、そう言う面で部活になんか貢献できればいいなと思います。

では、定期購読者が居た訳ではないですけど、2年間の永きに渡ってありがとうございました。成城大学は5部の下の方です。そんな他の学校から見たら「どうでもいい」大学の弓道部の主将だって、いっちょまえに色々悩んでいるんです。強い学校が歯牙にもかけないような大学にもドラマはあるんです。このブログから成城大学の勝ち進むドラマが始まる事を願っています。

当初は世の中向けに書いて居たこのブログも次第に業界人→部活関係者→部内の機関誌的な立場になってしまいました。実は当初の目的は「よよけんで他校の方から読んでます!と言ってもらう」でした。これが達成できずに悔しい。私にとってこれは「野村監督のぼやき」でした。野村監督がぼやくのはメディアに注目してもらうためと、日常じゃ伝わらない内容をチームに伝えるためという2つの大きな目的があるそうです。その意味では私はまさにそういう使い方をしていました。野村監督ほどの名将ではありませんが、なにか来年ここから得るものがあれば嬉しいです。

 

なにか連絡のある人はいませんか?———終わります。(主将)

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