46代 主将

同中競射最後の一本 45代46代主将まとめブログ

お久しぶりです。元主将です。
ご心配をおかけした先輩もいらっしゃるかと思いますが、なんとかおかげさまで私達45代・46代は全員無事に卒業できました。(もちろんかつての主務もです)

さて、本来ならば卒業式や卒コンの写真を載せたかったのですが、残念ながら震災の影響で中止になってしまいました。真偽はわかりませんが、全国的な卒業式の中止は学生運動全盛期以来とか。
この震災で被害に遭われた方々に対してお見舞い申し上げるとともに、学連さんが募金をしてくれるそうなので、本学弓道部も少ないながら募金させても頂きます。

卒業式は無かったとは言え、3/23に卒業生は大学に行って証書などをもらったのです。
どこの大学でもそうらしいのですが、やっぱりそういうイベントだけだとしても男女共におめかしして来るようで、本学も多分に漏れず男子はスーツで、女子は袴で登校していました。普段目にする弓道の袴とは打って変わって艶やかですね!当たり前ですけど!

まぁそんなのを経験すると一応卒業なのかな、と思います。式は出来なかったけど間違いなく卒業してしまいました。

そういえば、以前流派の話する、って言ってましたよね。
色々勉強しようと考えていたらこの地震だったのでなにも考えていません、すいません。

ただ、どんなものにも良い所悪い所があると思います。
大きな組織でも小さな組織でも。

結局は自分次第なんじゃないですか、それを生かすも殺すも。

・・・うーん、無理だ、やっぱこの話はやめようww
でも一人一人がしっかり考えて勉強すればいいと思う。それが本来の意義だと思うんだ。

・・・ということで、私達45・46代はそれぞれ道は異なりますが、4/1から生活が一変します。
進学は居ないので、誰一人学生の身分は居ません。社会人の仲間入りですね!w

かつて45代副務は「生涯弓友」って言ってました。(2008/5/26のブログ参照)
アイツたまにはいいこと言いますね。でも本当にそう。
色々あったけど、私達5・・・6人は同じ的を狙った仲間です(「同じ釜の飯を食った」的な使い方を弓道界で流行らせませんか?w)。
なんだかんだで苦楽を共にしたのは大きな思い出です。

実は意外とブログってもう書く事無いんです。
主将としての感想は「終立 主将を終えて」で語ってますし、リーグ戦後の気持ちなどはその都度ブログに書いています。感謝もねぇ、あんまりし過ぎてもアレでしょ?(笑)

で、なんとなく過去のブログを見たら(これ面白いね、過去に何があったかがよくわかる)私が以前卒業された先輩へ宛てたブログを今読むと、果たして私が今の後輩達にあれほどのインパクトを残していたのか?と疑問が残るんですw

てか今回アレなんですよ。卒コンが無かったので色紙もらってないんですよ!wwww
諸先輩方もぶっちゃけそうだと思いますが、どんなこと書いてもらえるのかなー!って楽しみじゃなかったですか?
私なんて「うわー木下先輩とか知らないwww主将だったんだっけwww」と、壱年生に言われるのが辛いのでたくさん絡みましたもん。

で、大体「お会いする機会がありませんでしたが、お世話になりました。今後とも頑張って下さい」みたいな感じになるんだぜ。そしてこういうコメントの壱年がいたら「ああ・・・そうか・・・」と思います。すいません、壱年生の手の内を晒してしまって。来年からこのフレーズ書けませんね!

まぁ、そんなこんなで色紙からもインパクト度を測ることが出来なかったのです。(なに?中止説、郵送説があるけどなんなの?早くしないと引っ越す人もいるんだからね!w)そして同輩が色紙に何を書いたのか見たいです。(なに?「見たければ道場来て下さいね☆」的なアレですか?そういうのいいです。)

そろそろ書くのも本当に無い。
なんだかんだで4年になってもブログをやってしまった。こういうのが無いとせっかく「最近の弓道部を知りたい!」と思った先輩方への近況の伝える手段が限定されちゃうと思うんですけど、現役はどう考えているんですかね。(ええ、これは48代主将をはじめとする幹部への圧力と捉えてもらってけっこうですw)

では最後に皆さん忘れかけている「一柳の一句」みたいなのをやろうかしらw

ただ一柳ほど才能に溢れていません。
知っている人も多いと思いますが日本史が好きなんです。で、誰かの句でも持って来ようと思って。

いくつか候補あったんです。例えば弓絡みの句だったら
「かえらじと かねて思へば 梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」楠木正行
とか良いなって思ったんですが、意味が
「もう返って来ないと思うので、ここで死ぬヤツの名前を残すぜ!」的な意味のようです(違ったら直して)。なのでちょっと違う。

好きな句だったら源実朝の
「出でていなば 主なき宿と 成りぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」
も、好きなんです。皆さんの鎌倉時代のイメージはわかりませんが、私にとってはすごく不気味な時代なんです。
源氏将軍三代が全員不審死していますし、実朝自身、この歌を死ぬ前に詠んだとされるのです。つまり自分がこのあと殺される!ってわかっていたとしか思えませんよね。実朝!銀杏!後ろ後ろ!と言ってあげたい。・・・まぁここで歴史の話しても意味ないですね。ちなみにお気づきの方もいるでしょうが、コレはかの有名な
菅原道真「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」
の本歌取りです。

じゃあ何にしよう、と考えたんですがコレなんかどうでしょう。

蒲生氏郷「限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心短き 春の山風.」

意味は「花の命は短いんだからほっといても散るのに、春の山風はそれを待ってくれないんだなぁ」という意味です。

今私は大学生から社会人ということで「学生時代って短かったなぁ」って猛烈に感じるんです。
大人にはいつか自然になるのに、社会は待ってくれない!ということを言いたい的な!ww

ちなみに蒲生氏郷はそれほど有名じゃないのかな。歴女の中とかではよく登場するのかな?
信長の家臣の一人で、戦上手です。信長の野望ではお世話になっている。秀吉の時代まで生きるも、40歳で病死します。
彼にはおおきな野望もあったのでしょうけど若い死が訪れてしまったという感じです。

ということで学生の時間は本当にもう少しだよ!思い残す事の無い様にな!

光陰矢の如しとは良く言ったものですね。

ではでは、今回で本当に幹部ブログを書く事は無いでしょう。私の弦音が少しでも皆様に届けば良いなと思います。

最後になりましたが、卒業出来たのは弓道部をはじめとする方々のおかげです。同輩はもちろん先輩後輩に本当にお世話になりました。
そして学生弓道自体にも。私はもう弓を引かないですが、いつかなんらかの形で恩返しはしたいし、青写真はすこーしあります。(その為には断続的に学連に成城大学の子を送り込んで下さい)

今後、後輩達はなんかやってくれることでしょう。楽しみにしています。面白おかしくブログで報告してくださいw

では

終わります(45代・46代主将 木下慧人)

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